もじゃもじゃと手を動かす

日々の思考のゴミ捨て場

土曜日の病院、日曜日のワンピース

最近起こった休日のいろいろ。

 

同僚のお見舞いに行く

同僚が急性胃腸炎にかかって職場で倒れ、緊急入院をしてしまったので、そのお見舞いに行った。

事前に何か食べたいものある?と聞いたら、「7日間絶食しているから何も食べられない」と返事が来た。

驚いた。

急性胃腸炎って、とにかく絶食なんだなぁ。

ちょっと大きめの総合病院に土曜日に行ったら、案の定休診日だったので、がらんとしたロビーを進んで階を上がっていった。

ナースステーションにひとこと声をかけたんだけど、「あ、どうぞ」って、そのまま何も言わずに入り込んでも別に私たちは関知しません、という雰囲気で言われてしまった。大丈夫なのかな。とりあえず「訪問カード」に名前だけ書いてポストみたいな木箱に投函した。

 

身内以外のお見舞いって、正直そんなに行ったこともないし、同僚からはラインの返事も比較的早く来ていたので、入院しているとはいえそこまで大事ないと思っていたんだけど、

ドアを開けたら文字通り一回り小さくなった同僚がベッドにぐにゃりと横たわっていて、そこでさらに驚く。

自分と同世代の人間がここまで弱っている姿をあまり見たことがなかったので、ちょっと衝撃的な映像だった。

5キロ以上やせたという同僚の、細い細い腕から一本点滴の管が刺さっていて、ここからの栄養一本で一週間も生きながらえているというのがにわかには信じられなかった。人間ってすごい。医療ってすごいけど、ちょっと怖い。

「この点滴、結構高カロリーなんですよね」って看護師さんが点滴を取り替えていた。

同僚はまだ車いすなんかでは全然移動できなくって、倒れた時に持っていたペットボトルのお茶の中身もまったく減っていなかった。

それでも早く仕事に戻りたがる同僚をなだめすかして、療養に努めるよう説得して帰った。

 

セレクトショップのワンピースに弱い

弱い。めっぽう弱い。すぐ買っちゃう。

こないだ、普段あまり行かない街の、あまり歩かない通りで、ゲリラ豪雨をしのぐために入ろうとしたお店がセレクトショップだった。

2階に並んでいる白いリネンのブラウスとか、麻のニットとかがいちいちクリーンヒット決めてくる。

その並びの最後にやってきた黒い半袖のワンピースにノックアウトされた。

「黒いワンピース」、ニットやらコットンやら、安いのやら高いのやら持っているのに、結局手から離せなくてそのまま試着して、そのままカウンターへ。

もうこの店には一生来ないかもっていう思いとか、このワンピースを着てみたいっていう憧れとか、意外と買えちゃうかもっていう値段とか、

そういう色々な条件がだいたい3つくらい重なって、「買っても私の人生に失うものはない、むしろ買わなかった時に得る後悔がいちばんつらい」っていう境地にたどり着いちゃうと、絶対に後戻りできない。

だから結局買ってしまった。

案の定ものすごい満足感。

 

たぶん、こないだ資生堂の動画を見たのもちょっと影響しちゃってるんだと思う。

www.youtube.com

 

武井咲ちゃんの来ているワンピース、暗くてよく見えないけれど、最高だな…っていうのは伝わってくる。

suzuki takayukiの服は、いつか欲しい。

 

目だったことは特にないけど、なんだか色々と予定が入っていたということを忘れたくないので、少しずつ記録していきます。

ミネラルウォーターに味はしない

先輩に好きな人ができた。


私のいちばん大好きな、そして尊敬している先輩は

いつも笑顔が明るくて、何に対しても真面目だし、他人に向かってあからさまな差別や嫉妬をしない、素敵なひと。


一緒にご飯に行くたびに私はその先輩にどんどん懐いていって、休日に洋服を買いに行ったり、お泊まり会をしたり、旅行に行ったりした。ほとんどのイベントは私が誘っていたのだけれど、嫌な顔1つせずに、先輩は予定をあわせてくれた。


この間も、そんな風にして私が誘い、先輩を家に泊めた。

明け方まで呑んだくれてしゃべり倒した、その最後の最後に、先輩に好きな人がいるとわかった。


いまよく一緒に仕事をしている人で、もう2人で食事に行ったり、ドライブにも行っているらしい。


見せてもらった写真にうつっていた男の人は、ひょろっとしていて、別段、とびきり格好いい訳でもなかった。話を聞く限り恋愛経験が多いわけでもなさそうだったし、むしろ女性の扱いになれていなさそうだった。正直、この人のどこに惚れたんだろうと思った。

それでも先輩はもう、その人が何をしてても格好良いと思ってしまうらしくて、ダサいシャツを着てても、寝癖がほったらかしでも、たまにかけるメガネが汚れてても、全然構わないのだと言う。

文字通り恋する乙女になっていた彼女は、静まらない気持ちを抑えたいのと、それでも会うたびときめいてしまう衝動に苛まれていて、幸せな葛藤の最中にいるようだった。


素敵ですねぇ、とか、もうこっちから告白しちゃったらどうですか、とか、当たり障りのない恋バナをしながら、思考はひとつのどうしようもない疑問に収斂していく。



どうしてそんなに人を好きになれるんだろう。何がそんなに楽しくて好きになっちゃうんだろう。



好きな友だちの恋バナを聞くのは、楽しいけど、ちょっとツラい。

それは、私と彼女の嗜好が、突き詰めれば決定的に違うってことを、自覚させられるからだと思う。

私たちは趣味や価値観や、笑いのツボが同じで、だから仲良くなったはずだった。

多分この後もずっと仲良しで、変わらないことだと思ってたんだけど、

何回見ても、いくら話を聞いても、

彼女の好きな人に私が共感できないということは、私と彼女の価値観はそこで違うってことなんじゃないか。

私と彼女はつまるところ、まったくの別人なのだ。


当たり前だけど。でもなんだか少しさみしい。


素直に、自分の好きな友人に好きな人ができたことを喜べればよかった。

私の好きな人が私を好きじゃなくても、好きな人が幸せならそれでいいんですって、カードキャプターさくらに出てくる知世ちゃんみたいに、そんなふうに綺麗なことを思えれば良かったのに。


しょうもない独占欲をほったらかしにできない私は、みみっちい嫉妬をうだうだと転がし続けながら、喉が渇いてミネラルウォーターをぐびぐび飲んだ。

先輩にも渡したら、私もちょうど喉が渇いてたの、と言って

先輩もミネラルウォーターを飲んだ。


もう寝ましょうか、と言って私は電気を消した。

私は味のしない水を飲んだけど、彼女にとっては別の味がしてるのかもしれないな、と思いながら。

ひとり暮らしの清少納言

スーパーに、早くもアメリカンチェリーが並んでいた。

もう初夏なのね、と思う。

 

スーパーで季節を感じるようになったのは、ひとり暮らしを始めてから。

春はたけのこや、タラの芽や蕨などの山菜コーナー。

夏になると、トマトやナスの色がぐっと濃くなるように思う。

秋はいも。さつまいも、山芋、あとはかぼちゃ。ホクホク、という文字の踊る季節。

冬は一気に鍋祭り。白菜、白菜、白菜、そしてかぶとか、とうがんとか、煮込みたくなるもの。

私はこまめに通うタイプではなく、一週間に一回まとめ買いをするタイプなので、季節の進みを感じる幅が大きいのかもしれない。そういえば、自然界の季節は、だいたい5日間で進んでゆくと聞いたこともあるし。

 

スーパーでもうひとつ気づいたことは、母の嫌いな野菜。

アボカドはてっきりカフェやレストランなどでしか提供されない特別な野菜だと思っていたのだが、

今や野菜の陳列棚に我が物顔で並んでいる食べ物だったとは、自分が通うようになって初めて知った。

家の食卓では一度も出たことがなかったので、母に聞いてみると、実はずっと前から嫌いだったと告白された。

あのねっとりとした触感と、独特の味が受け付けないのだそうで、

実家の食卓にアボカドエッグとか、コブサラダとか、アボカドサーモン丼とかがお目見えすることは今後もない。

 

ひとり暮らしをしていてもっとも幸せなのは、お風呂の時間が制限されないことと、トイレに行く時刻がだれともかぶらないこと。

お風呂に入るまでは面倒くさがるくせに、一度はいるとゆっくり湯船につかってしまって時間を食うやっかいな性格のため、実家では疎まれていた私のお風呂タイムも、ひとり暮らしをしてしまえば、誰にもとやかく言われないのは本当に、本当にうれしい。

最近はラジオを聴いたり、携帯をお風呂に持ち込んで(ジップロックに入れる)動画を見たりしてしまうので、さらに入浴時間が長くなってしまったが、入浴剤を入れてどかっと湯船を占領して入るお風呂は気持ちいい。

 

お風呂に入っている間、洗濯器を回すことが多い。

ベランダが狭いのと、大通りに面していて汚れそうなので、洗濯物はもっぱら浴室で干しているのだが、

お風呂からあがったあと、ラフな格好で浴室に洗濯物を干している時間は、世界でいちばん自由なことをしている気分になる。これもきっと、ひとり暮らしの特権。

 

 

トイレの時刻が被らないのは、些細なことだがしみじみ幸せに感じることがある。

実家暮らしをしているとき、父ととにかくトイレの時間が被ることが多かった。

朝、家を出る前と、夜、寝る前。

顔だけじゃなくて、生理現象まで似るとは、親子とはなんと恐ろしい生き物なんだろう。

もう今は、トイレの扉の前で父とくだらない喧嘩することもないのだけれど、

トイレに入ると時々、父ももしや今、実家のトイレにいるのではないかと考えてしまう。

 

 

ひとり暮らしは、いくつになっても発見が多いし、日常の些細なことに考えを寄せられるし、何より楽しい。

いつ終わるのかはわからないけれど、もう少し続けていたら、

枕草子ぐらいの随筆は、かけるような気がする。

初めに言葉があった

差別をしないとは、みんなを同じ扱いにすることではなく、一人ひとりの違いを理由に態度を変えないという意味だ。

 

www.huffingtonpost.jp

 

身に沁みた。


記事自体は、生理痛のひどい女性社員を上司が理解しようとしてくれるええ話。

 

自分自身で言うのもどうかと思うけれど、

割と体力的にも精神的にもタフであると自負しているので(なんなら生理痛もなくはないけどスルーして仕事できる程度には辛くない)、

ちょっとしたことで精神的に不安定になる人や体力的に無理して負のスパイラルに陥って日々のパフォーマンスが落ちる人が許せない。

それがたとえば職場(今昔、部活とかバイトとかボランティアとかサークルとか、個々人の役割がある場所)にいたりするとすごい嫌悪感を持ってしまい、フォローする気が起きなくなる。

さらに男性ともなると、自分で書いていて引くけれど、

「タフじゃない男ってなんなん!?キモいねん」と思ってしまい、嫌悪感は増幅される。

 

もしや私はトランプ大統領並に自分と相容れない他者を拒絶するタイプなんじゃないかと考えたりして、

いやそれ人間として性格悪すぎでしょ、

 

でも差別しないとか無理じゃない??

 

 

人間だもの誰にでも同じように接するとかはできんくない??

 

 

というモヤモヤを抱えてたんですが、

冒頭の言葉を読んで、ふっと思考が楽になった。

 

相手を同じパーツにはめこもうとするのではなく、

かといって自分のパーツを無理に捻じ曲げるのでもなく、

「違うことを理由に、態度を変えない」。


 

難しいかもしれないけれど、心がけたい。

本当は怖い『東京タラレバ娘』

1年半くらい前に先輩に誘われた飲み会で知り合ったMさん。

Mさんは営業職のサラリーマンで、その飲み会の幹事をしていた。

顔立ちも良いし、服装もこぎれいだし、本もそれなりに読む、好青年。

休みの日には誰かに会ってないと気が済まないタチらしく、飲み会でラインを交換してからは、別の飲み会に連れて行ってくれたり、カフェでお茶に誘ってくれていた。


時々2人で会うこともあったわけなんだけど、

神様が間違ったプログラミングしたんじゃないかっつーくらい我儘なワタクシは、何回か会ってわかってしまった、「あ〜〜〜〜この人と喋ってても楽しくねぇ〜〜〜〜」って。


家にテレビがないのなんて今どき当たり前だけど、それにしたってエンタメに疎すぎる。

ミーハー野郎な私は映画『沈黙』を彼が知らないということをどうしても受け入れられない。

クソゥゥゥと思いながらも『沈黙』のあらすじを説明したって、それに対するリアクションが0だったら心の中で悪態ぐらいつきたくなりますよ。


できれば気づきたくなかった、ていうか気づいてもそれなりに軌道修正できるんじゃないかって思ってた。

曲がりなりにも相手から色々お誘いいただいてるわけだし、飲み会開催できるくらいには人脈もあるようだし、話がかみあわねぇって思ってるのは私だけじゃないか。

だったら、私が我慢すればいいんじゃない?それでスムーズな人間関係が成立するんなら、別にいいんじゃない?


わかっちゃいる

わかっちゃいるの

わかっちゃいるけど


耐えられない。


驚くほど鎌田倫子と同じ理屈で私はMさんとの会話が耐えられない。

服がダサいのは別にいい。

貧乏だってそんなの気にしない。

なんなら不倫してたって友達でいられる。

でも話がつまんないのはこの世のどんな物事よりも耐えられない!!!


もうそうなると2人でお茶するってのがどんだけエグいミッションかってことですよ。

これが便利屋に来るような、とりあえず次の予定がある1時間だけ話し相手になってくれないかっつー依頼だったら森山みくりヨロシクいくらでも話しますよ。

時給が発生するならな!!仕事ならな!!


でもこれは仕事じゃねぇええええ

つって断ったりするんだけどもうどうにも断りきれなかったりして3回に1回くらい会うんだけど

その度にあ〜〜〜〜貴重な休日無駄にした〜〜って後悔しきりですよ。

倫子さんよろしく、こんなんだったら家で1人で笑点見てる方が百万倍楽しいとか思うわけですよ。


ってそこまで考えて気づくんです。


あれ?私にはタラとレバがいないぞ?


こんなときタラとレバは何を言ってくれるんだ??


わからんぞ???わからないぞ???って。



タラとレバだったら、会いたくない友達にサラッとその旨伝える術を知ってるんじゃないか、とか思うんですけど。




そうなんです。


私にはタラとレバが見えないんです。だって現実に生きてるから。

私は漫画の中の主人公じゃないから。

そんな都合よく現れて性格の悪い私の思いを叩き直してくれるなんてことはないわけです。



でもそう考えると東京タラレバ娘ってめっちゃ怖くないですか。



タラとレバがまるでこの世に存在する占い師かのように、彼らの言葉に感銘を受けてる女子(おなご)たちはごまんといるわけで。


そういう女子たちは、タラとレバの言葉でまるで自分たちも生まれ変わったかのように錯覚するんではないか、と。


これで私たちの性格も多少は改善されるに違いない、また倫子や香みたいな状況になっても、もう失敗しないって。



そんなことはないって普通ならわかる。

だって現実世界で自分のケースひとつひとつに自分の性格を鑑みた上でアドバイスしてくれる人なんてそうそういない。

ケースバイケースなんてのが人間関係には百万通りくらいあって、タラとレバが倫子や香や小雪に言ってることが、必ずしも当てはまるなんてことはないってことが、普通ならわかる。

それに現実世界でそんなことを言ってくれるのはだいたい女友達だったり親だったりするわけで、それにいちいちショック受けてたら普通に生活なんかできやしない。

忘れるでしょ。忘れちゃうでしょ。

自分の性格とか、ラインの返事の仕方とか、そんなにすぐに直らんでしょ。



でもタラレバ娘は、あまりにもタラとレバの言うことがリアルだから


(これが本当に東村アキコ先生のすごいところだと思う、フィクションの存在に現実的なことを言わせるのって、すごく難しいことだと思うから)



なんだか本当に自分に向けて言ってくれてるんじゃないかって、そんな気に読者はなっちゃうんじゃないかって。


ていうか、私がそうだった。

あれ?タラとレバって私の前には現れてくれないの?ってなるまで気づかなかった。


その錯覚を持ったまま、タラとレバに喝入れてもらって良かった!私、生まれ変わります!みたいな

コンタクトレンズのCMみたいにキラキラ未来明るくなっちゃって

その実なんの改善もしない女子たちを量産してるのだとしたら、それはそれで恐怖やな、と。

それは未来が開けたのでは無く、バーチャルな世界に照明で日が射した演出をしただけのことなんですよ。




これは自戒を込めてですけど、


タラとレバはフィクションだから!


あたしらの世界になんかいねぇから!!


てめえらの問題は自分で解決するしかねぇから!!!!


という気持ちを持って




次回のMさんからのお誘いはシッカリと断り


次巻の東京タラレバ娘も心待ちにしようと思います。


初めて三代目JSBのライブに行ったヅカファンの話

『求めよ、されば与えられる』

(マタイによる福音書 7:7~8)

 

****

 

「いやあ、一回エグザイルとかのライブに行ってみたいんですよねぇ」と飲み会で口走った。

そしたら、その場にいた先輩に「え、じゃあ来月三代目のライブがあるから、行く?」と言われ、

あれよあれよという間にライブのチケットをとっていただいたのが、先月の話。

人生はノリとタイミング。来るはドームツアー公演。

学生時代に見た聖句に『求めよ、されば与えらえる』ってのがあったなあ。

こういう時に使うのか。

 

生まれてこの方ドームツアーになんて誰のものにも行ったことがないから、

とりあえず「ライブ 初めて」でググる

ふむふむ、ドレスコードみたいなものがあるわけじゃない、とか、荷物は最小限にまとめた方が良い、とか、アリーナとスタンドの違い、とか、初めてデートに行く中学生みたいな気持ちでシッカリ読んだ。

アルバムも(前から多少聞いてはいたけど)ちゃんと予習してきたし、

なんならライブ動画もちょっと観た。

 

いよいよ当日、

夕方に先輩と待ち合わせている駅に行ってみたら、

まあそこらじゅうの色が吸い取られちゃったんじゃないのっていうくらい、街の景色は黒と白だけになっていた。


すごく驚いたんだけど、三代目のライブってウチワとかはみんな作ってこないらしい。

その代りに、みんな黒や白のトレーナー(グッズ)を来て、サングラスをかけたりしていた。

殿方は三代目のメンバーに「似せる」というよりは、「寄せる」っていう感じの人が多くて。

10代~20代が多いけど、親子連れもいたり、老若男女幅広く見かけて、そのみんながモノトーンコーデでキメてきている様は圧倒的だった。

 

これが宝塚だったら、みんなキャトルレーヴの紫色の袋だけが共通項なんだろうなあ。

 

お手洗いは案の定並んでいたけど、そこでも若い子たちがみんなSNOWしたり、メイクを手鏡じゃなくてスマートフォンで見ながら直したりしている。

そういうことをしているから、時々列が乱れたり、進まなかったりして、警備員さんが詰めるよう促していたりした。

 

これが宝塚だったら、2列に整然と並んだまま、どえらい量のトイレに導かれてスルスル行列が進んでいくんだろうな。

 

いよいよ会場に入ってみる。

何十番とあるゲートから、自分たちのチケットにかかれているゲートを選んで入る。

 

これが宝塚だったら、4階ぐらいまでしかないのにな。

 

ドームは驚くくらい広くて、大きなセットだった。

カメラも警備員も桁違いに多い。

 

待つこと1時間、いよいよ開演時刻。

そこからはもう、驚きと楽しいの連続。

とにかく自分のまわり365度すべてから、歓声が飛んでくる。

メンバーが近くにやってくるたび、その声どこから出てるの…!?のどちんこの奥に笛でも備え付けてるの…!?というくらい、後ろの席の女の子が叫んでいた。

 

これが宝塚だったら。

歓声は拍手で、呼びかけはご法度。

でも心の中では絶叫!

っていうものすごいムッツリタイムを過ごしているんだけどなあ…!


自分の欲望や感情をありのままに口に出せる空間って、なんてうらやましい。

 

くぅ…いいなぁ…!

 

まああんなかっこいい殿方が踊り狂ってたら、そりゃ叫びたくもなる。

でも宝塚だって、この世のものとは思えないくらいかっこいい殿方が踊り狂ってるけど。

 

先輩が貸してくれた双眼鏡を見てみる。

倍率すごい良いはずなのに、見えたメンバーはやっと全身捉えられる程度。

 

がーん。


これが宝塚だったら…表情までくっきり見える距離感なのに…。


ドームの広さ、恐るべし。

 

 

宝塚に通ってると、普段「美しい人を見て絶叫する」ってことに慣れてない。

ちゃんと「イエェーイ!」って言えるまでに割と時間かかった。

なんなら途中ちょっと声上ずって、サンシャイン池崎みたいな「イエェェエエエイ」出た。

 

ライブはとっても楽しかった。

でも同時に


宝塚、行きたい

の思いが冷めやらず。

 

今度は宝塚のチケットを『求めよ、されば与えられる』か。