ひとり暮らしの清少納言
スーパーに、早くもアメリカンチェリーが並んでいた。
もう初夏なのね、と思う。
スーパーで季節を感じるようになったのは、ひとり暮らしを始めてから。
春はたけのこや、タラの芽や蕨などの山菜コーナー。
夏になると、トマトやナスの色がぐっと濃くなるように思う。
秋はいも。さつまいも、山芋、あとはかぼちゃ。ホクホク、という文字の踊る季節。
冬は一気に鍋祭り。白菜、白菜、白菜、そしてかぶとか、とうがんとか、煮込みたくなるもの。
私はこまめに通うタイプではなく、一週間に一回まとめ買いをするタイプなので、季節の進みを感じる幅が大きいのかもしれない。そういえば、自然界の季節は、だいたい5日間で進んでゆくと聞いたこともあるし。
スーパーでもうひとつ気づいたことは、母の嫌いな野菜。
アボカドはてっきりカフェやレストランなどでしか提供されない特別な野菜だと思っていたのだが、
今や野菜の陳列棚に我が物顔で並んでいる食べ物だったとは、自分が通うようになって初めて知った。
家の食卓では一度も出たことがなかったので、母に聞いてみると、実はずっと前から嫌いだったと告白された。
あのねっとりとした触感と、独特の味が受け付けないのだそうで、
実家の食卓にアボカドエッグとか、コブサラダとか、アボカドサーモン丼とかがお目見えすることは今後もない。
ひとり暮らしをしていてもっとも幸せなのは、お風呂の時間が制限されないことと、トイレに行く時刻がだれともかぶらないこと。
お風呂に入るまでは面倒くさがるくせに、一度はいるとゆっくり湯船につかってしまって時間を食うやっかいな性格のため、実家では疎まれていた私のお風呂タイムも、ひとり暮らしをしてしまえば、誰にもとやかく言われないのは本当に、本当にうれしい。
最近はラジオを聴いたり、携帯をお風呂に持ち込んで(ジップロックに入れる)動画を見たりしてしまうので、さらに入浴時間が長くなってしまったが、入浴剤を入れてどかっと湯船を占領して入るお風呂は気持ちいい。
お風呂に入っている間、洗濯器を回すことが多い。
ベランダが狭いのと、大通りに面していて汚れそうなので、洗濯物はもっぱら浴室で干しているのだが、
お風呂からあがったあと、ラフな格好で浴室に洗濯物を干している時間は、世界でいちばん自由なことをしている気分になる。これもきっと、ひとり暮らしの特権。
トイレの時刻が被らないのは、些細なことだがしみじみ幸せに感じることがある。
実家暮らしをしているとき、父ととにかくトイレの時間が被ることが多かった。
朝、家を出る前と、夜、寝る前。
顔だけじゃなくて、生理現象まで似るとは、親子とはなんと恐ろしい生き物なんだろう。
もう今は、トイレの扉の前で父とくだらない喧嘩することもないのだけれど、
トイレに入ると時々、父ももしや今、実家のトイレにいるのではないかと考えてしまう。
ひとり暮らしは、いくつになっても発見が多いし、日常の些細なことに考えを寄せられるし、何より楽しい。
いつ終わるのかはわからないけれど、もう少し続けていたら、
枕草子ぐらいの随筆は、かけるような気がする。